Extra - Su automobili...
- 21 marzo 2000 -
『クルマをめぐる...』
■エゴイストとは
最近、英国のローバーという会社からローバー75というクルマが発売されました (注:2000年のはじめに書いた文章です) 。そのときの新聞広告のコピーはというと、「一人のデザイナーから、世界一エゴイストなあなたへ」。
なんだ、これ? と思う。
一方、同じローバー75のカタログには、「21世紀、クラクションを鳴らさない生き方。」というコピー。
果たして、ローバー・ジャパンの考えるエゴイストという言葉、どんな意味をもっているんでしょうか?
クルマの世界というのは不思議で、「エゴイスト」というタイトルの雑誌さえあるくらいだから、もしかしたら独特の価値観が存在しているのかも知れない、とも思う。けれども、自動車は環境破壊の元凶、という論調がしだいに高まる中、どうやって社会や地球と折り合っていくのか、という視点はなくてもいいんでしょうか。
もっと下世話な話として、こんなカタログや広告を作っちゃうような代理店に金払ってていいんでしょうかね? ローバー・ブランドの将来が心配です (注:なんていってたら、オオモトがつぶれちゃいましたね。うちの近所のお店もランドローバー・ブランドに変わってしまいました ) 。
■いつなんどきも、責任がある
今はどこの自動車メーカーも環境、環境と騒いでいます。
たとえば、トヨタは電気モーターを利用した極めて燃費のいい実用車が21世紀に間に合いました、という。燃費がいい「21世紀マイカー」なるものも作っているそうです。
けれども一方で、その21世紀マイカーたるヴィッツと同じプラットフォームを持つファンカーゴというクルマのコマーシャルでは、「どこで何しても私の勝手でしょ」 (注:さすがに最近このコピーじゃなくなりましたね) とくる。どこで何するのも全然勝手じゃありません、もちろん。
クルマというのはもともとが、簡単に人を殺してしまえるほど強力な機械です。その上最近では、燃料資源の枯渇だとか地球温暖化だとか大気汚染だとかシュレッダーダストだとか、いろいろと社会問題視されているわけです。だから、クルマを所有したり利用したりするというのは、それ自体ものすごく大きな社会的、道義的責任がともなうということになってしまった。
「どこで何しても私の勝手でしょ」とか思っているような人は、クルマを所有するべきではありませんし、そんなコマーシャルをやっているメーカーは自動車を作るべきじゃありません。もちろん、トヨタのクルマなんか、死んでも買ってはいけません。クルマのことが好きならば、の話ですが。
■跳躍する猫の近況
先日、新聞に地元のジャギュワ屋さんの広告が入ってきて、それにミレニアム限定車みたいな変なもんが載ってました。いや、ミレニアムという名前は別にいいんです。問題は、その仕様なのです。
細かいところは忘れたけれども、特別仕様のステアリングだとかホイールだとか、そんなものがついていて価格据え置きみたいな、そんなものだったと思います。別にどうということはない、よくあるリミテッド・エディションです。
気に入らなかったのは、ボンネットフードの先端に、猫のオーナメントが付いているっていうやつだったんです。クルマ好きの人は知っていると思うけれども、ジャギュワっていうのは昔フードの先にクロームメッキされた飛び跳ねる猫(豹)の飾りが付いていたのです。メルセデスには星が、ロールスロイスには鳥が付いているのと同じです。
が、このジャギュワのシンボルは、10年くらい前からだったか、付かなくなりました。なぜかというと、危険だからです。考えても見てください。あんなものが付いているボンネットにぶつかったら、歩行者は骨折だけでは済みません。皮膚も肉もぐちゃぐちゃに引き裂かれちゃう。
だからあれは付かなくなった。それでも、馬鹿なジャギュワ・オーナーがどっかから手に入れて自分でくっつけちゃったりするのが流行っていたりする。最新型なのにあの猫がくっついているジャギュワって、結構あるんです。
ぼくは、古いジャギュワに付いている猫まで取り外せ、なんて言いません。古いものっていうのは、クルマに限らず不合理な部分があってあたりまえだからです。
しかし、新しいクルマを買って、しかもそいつには最新式のコンピューターが制御するABSとかTCSとかエアバッグとかシートベルト・プリテンショナーとかテンション・リミッターとかまで満載されていて、(主として自分の)安全を最大限に考慮していて、保険料まで割り引きになったりしているのに、先っぽに猫ですよ! これは許せません。
それがまた、わざわざディーラーが特別仕様と称してそういうのを売っちゃうんですから、呆れちゃう。
なるほど、「世界一エゴイストなあなた」ってのは、こういうことを言うのか、という感じです。ローバーも、エゴイストを狙っているなら、フードに船のオーナメントでも付ければいい。
ちなみに、メルセデスのオーナメントは指で押せば倒れるくらいフニャフニャになっています。それでも、安全のことだけ考えるなら、ないに越したことはない。けれども、一応筋は通した、って感じです。
■歩行者をさらに傷つける方法
自分達は世界一理性的だと思っている(?)メルセデスとBMWにも、同じことが言えます。他社にもあるかも知れないけれど、この2社は共に純正オプションとして金属製の「コーナーポール」というものを用意しているんですね。運転席と反対側の前のバンパー上に立っている棒です。
これは何の役に立つかというと、もちろん見えにくいクルマの隅が分かりやすくなって、狭いところでこすらない、ということです。でも、こいつもフードのオーナメントと同じで、歩行者を傷つける可能性が非常に高いと思います。壁にぶつかったくらいでは折れないくらい頑丈にできているからです。
これについては、日本車は賢い。普段はバンパーの中に隠れていて、室内のスイッチを押すとアンテナみたいにニョキニョキっと出てきたりするのがあるんですね。つまんないメカではあるけれど、こういうのこそ本物の「ハイテク安全装備」っていうんじゃないでしょうかね。
危険なコーナーポールと同じようなものとして、カンガルー・バーがあります。これはオフロード車なんかによくついているクルマの前面を守るための金属の棒です。これは元々、野生動物なんかにぶつかったときにクルマが壊れないように考案されたものだそうですが、現代の日本においては、歩行者にぶつかったときに、効率的に相手の骨を砕き、自分のクルマを守るために装備されているということになります!
ホンダなんか、これを「バンパー・ガード」なんていう名前で売ってたこともあって、バンパーをガードしてどうするんだ、って感じです。まるっきり馬鹿です。PIAAとか書かれたでっかいフォグランプなんかも、同様ですね。あんなもんに轢かれた日にゃ、下半身不髄度200パーセント・アップです。
まったく個人的な意見ですけれども、だいたいでっかい4WDのオフロード車なんかに乗っている人は、エゴイストが多いんですね。
いや、もちろん、中にはほんとに好きだとか必要があるとかで乗っているという人もいるでしょう。でも、たいていは、年に十数回スキーに行くから、とかいうだけの理由でああいう迷惑車に乗っているんですね。
運転席が高いから他のクルマを見下ろしながら運転できるし、中でセックスしても見られないし、事故のときにも相手のクルマだけ壊れて自分達は平気だし、ってなもんです。
あげくに、重いから燃費は悪い、小回りが利かなくてUターンするときに他のクルマに迷惑をかける、後ろに付いたクルマにとって視界が悪くなる、夜後ろに付かれるとライトが高くて眩しい、と迷惑なことこのうえないわけです。ま、実に個人的かつ偏見に満ちた意見かもしれないけれど (注:極めて偏見に満ちていてごめんなさい。そういう悪い部分っていうのをちゃんと意識していて、「それでもオレはこれがいいんだ!」っていうんならいいんです。漫然とそういうクルマを選んだんだったらケシカランということなのです) 。
■結局、知ることなんです
そうなんですよ。結局、ここに書いたようなことは、当事者は全然知らないんです、そもそも。そんなこと考えたこともなかった、っていうような話なんでしょう。
決して悪意があって猫を付けているわけでも、ファンカーゴを買っているわけでもない。しかし、明らかにそれは悪いことなんです。矢作俊彦の言葉を借りれば、「無知は犯罪」なんです。
だから、ぼくはもっと知識を交換するべきだと思う。
インターネットには溢れる情報があるのに、役に立つ知識はほとんどない、とよく言われます。
たまたまぼくはクルマが趣味だから、クルマに関わることが気になるけれども、服のことが気になる人とか、食べ物のことが気になる人とか、いろいろあるでしょう。そういう各々が、正しくて役に立つ情報を、もっと他の人に知らせていくべきなんでは? そういう使い方(すなわちインターネットの、ということですが)は、ひとつ正しいんじゃないか、と思うわけです。
そしてそのためには、まず自分の思うところを、特に自分の欲望をしっかりと把握しなくちゃいけない。なぜ自分はこれが欲しいのか、これをしたいのか、そういうことを吟味しなくちゃいけない。
それは頭を使う作業だと思うし、普段まったく頭を使わずとも生きていける現代社会だから、けっこう難しいことなのかもしれません。でも、頭を使ったからって、どんな損がある? タダなんだから、使えばいいのに、と、ぼくは本当にそう思います。